チェリーちゃんねる 第2章

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6月19日 福岡大空襲

亡くなった私のじいちゃん ばあちゃん おじちゃんおばちゃんの写真を飾り

毎日 お茶とお水をあげてるとこに

落雁を供えました

あじさいです


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6月19日がくると

母は空襲の時の話をします

その頃母は

山笠のゴール 鶴乃子のお菓子のお店があるとこから数軒先に住んでました

空襲警報が鳴って 母と母の母(私のばあちゃん) 母の弟妹 防空壕へ

そこへ母の父(私のじいちゃん)が警備から戻ってきて

そげんとこおったら焼け死ぬぞ と どなり

リヤカーに全員のせて 上からふとんをかけ

びしょびしょに濡らし

走ったそうです

今の福岡市民会館のところまで

どっちに行ってもどんどん焼夷弾が落ちてきてた中

じいちゃんにどんな判断があったのか

運だったのか奇跡だったのか

あのまま防空壕にいたらいのちはありませんでした




須崎は全滅でした







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by 7saikaranocherry | 2017-06-19 21:12 | Comments(10)
Commented by pinochiko at 2017-06-19 21:54
おじいさん、すごい。どれだけの力でリヤカーを引いたのでしょう。
自分は熱い火の粉を浴びていたかしら?
命がけで守った家族。おじいさんのおかげで今があるのですね。
Commented by niwatorineko at 2017-06-19 23:27
家族の歴史、こうしたお話を聞けるのは貴重ですね。
若い頃はピンとこなかったけど、今はズシンときます。
おじいちゃんが守ってくれた命。
私も母の話を聞かなくちゃ。
Commented by 7saikaranocherry at 2017-06-20 08:50
> pinochikoさん
ほんとですね
もし防空壕を信じて中にずっといたら
私も娘もそのあとの子達も存在しないわけだから
感謝 感謝ですね
布団も濡らし祖父も水をかぶったそうですが
火の粉をくぐりながらだったでしょうね
Commented by 7saikaranocherry at 2017-06-20 08:56
> niwatorinekoさん
若い頃は なんとなく聞いて 流してましたが
今は やはり違いますね
命のつながりがここにあったという感じです
70年以上前のことをはっきり記憶してるというのも
すごいなと。。。消え去ることができない恐怖の記憶なんでしょうね
Commented by ははとど at 2017-06-20 13:10 x
そうだったのですね‼
命懸けの行動は、記憶が薄れませんね。凄い判断力、行動力…流石博多ん男ばい!!…私ももっと早いうちに、母の色んな話を聞いとけば、良かった〰😅
Commented by 7saikaranocherry at 2017-06-20 17:05
> ははとどさん
病気して一緒にいる時間がたくさんできたので
聞くことできましたが
もし健康で私も仕事続けててたら
聞けない話だったかもですね。。。
Commented by hiipopo at 2017-06-20 21:33
おじいちゃん、命がけで家族守りましたね。もう、戦争はいやですよね!
Commented by tasukeai-maki at 2017-06-21 01:59
お祖父様の判断力素晴らしかったのですね♪
それに、リヤカーを引っ張る力も凄かったのですね!
当時はきっと、今では思い付かない程の必死な毎日で、
一瞬一瞬が生死の分かれ目のような、、、
Commented by 7saikaranocherry at 2017-06-21 10:00
> hiipopoさん
戦争は全て不幸にしてしまいますよね
ミサイルのニュースとか見て
もう防空壕には入りたくない と母が言います
Commented by 7saikaranocherry at 2017-06-21 10:04
> ころたんさん
こういうときは普段ではでない力が湧き上がるんでしょうね
防空壕にいたままで
次の日 学校行ったら 来ない友達もいたそうです
何が生死を分けるのか・・・
わかりませんね。
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